好きなんだからしょうがない

ジャニーズの話をするブログ

ARASHI BLAST in Miyagiから3年経った話

2015年9月22日。

3年前の今日、嵐が宮城でコンサートをした日。最終日。
私が地元で、嵐を初めて見た日でもある。


「嵐、宮城に来ないかなあ」
私が嵐をすきになってから、ずっと言っていた言葉だ。国立や東京ドームでコンサートをする嵐を見て、私も嵐に会いたいと思ったいた。でも当時学生だった私は、東京へ遠征するお金がなかった。地元に来てくれたら行けるから、来てくれないかな〜なんて、そのときは夢話のように話していた。ひとめぼれスタジアムは、宮城で嵐がコンサートするならここだと思っていた場所だ。私の中で嵐は「国立競技場でコンサートをするグループ」という印象だったので、大きい会場で歌う嵐を想像していた。でも少し前に会場の名前が変わって、ひとめぼれスタジアムになったとき、友人と「翔くんにひとめぼれスタジアムにお越しのみなさん〜」って言うのかな?なんか違うよね、なんて話もした。*1こんな話が実現するなんて、一ミリも思わなかったのに、2015年、嵐は宮城に来た。

”嵐が宮城に来る”ことの影響はすさまじかった。シルバーウィーク中、どこもかしこも嵐ファンでいっぱいだった。会場に向かうシャトルバスには長すぎる行列ができていたし、駅にあるポスターの写真を撮るために仙台駅の3階は尋常じゃない混みあい方だったし、限定のミスドのドーナツを求める人もたくさんいた。こんなに宮城に人がいることないんじゃないかってくらい、人の嵐だった。今でも地元で嵐ファンじゃないとと話すとき「嵐といえば、あのときすごかったよね」という話が出るくらいだ。何も知らなかった人たちにとって異様な光景すぎたのだろう。
会場の交通の便が非常に悪いため、会場も昼間から人でいっぱいだった。セキスイハイムスーパーアリーナに来たことがある人は「なんでこんなに駅から遠いんだ」と思うだろう。わかる。地元民もそう思っている。そして何もない。山だから。コンビニはかろうじてあるけど、まじで何もない。でも嵐が来た時は、会場の外に屋台が出ていた。*2 地元のおいしいものが並んでいた。賑わっていて、ここで小腹を満たした人も多かったと思う。ここで買い物をしてくれる人がいることで、少しでも復興に近づいているんだと思うと、この場を用意してくれた嵐に感謝しかなかった。

グッズも宮城仕様になっていたのも嬉しかった。特にぼっちゃん石鹸にはかなり驚いた。私はこの顔が怖くて、小さいときこの石鹸が大嫌いだった。まさかこの石鹸を、自分が選んで買う日が来るなんて(グッズだけど)、それこそ想像しなかった未来だ。グッズ売り場の横にリーダーの絵も飾ってあり、これまたものすごい列だった。貴重なものをありがたく見させてもらった。ありがとう。

 

会場は何度も足を運んでいた場所で、どういう構造なのかわかっているのにドキドキした。座席に着いてもまだ実感が湧かず、ふわふわした気持ちで嵐を待っていたのを覚えている。出てきたとき、自分でもこんな声出るんだなって思うくらい叫んだ。

生で見る嵐は素晴らしかった。かっこよくて、かわいくて、ずっとキラキラしていて、まさにアイドルで、2時間があまりにもあっという間だった。

胸がいっぱいになるセトリだった。高校生と歌った感謝カンゲキ雨嵐は涙が出た。すずめ踊りをしてくれたのもすごく楽しかった。翔くんのHip Pop BoogieのChapterⅡは嵐への思いが募って苦しくなった。
そして、最後に歌ったのが「果てない空」だった。みんな一度ペンライトを消して下さい、と潤くんが言ったけど、持っていたのがケミカルライトだったのでタオルで包んで消したのを覚えている。このとき潤くんもごめんね、消せないものあるのか〜なんて言ってて。でもみんなちゃんと隠すなりなんなりして、きれいだった景色が一気に暗闇に変わったのだけど、ひとめぼれスタジアムは天井がないので空が見えた。

空を見上げたらきれいな星空で、それがとにかく大きく見えた。今、私はだいすきな嵐とこの景色を共有している。ここにいるみんなと、この景色を見ることができた。とってもとってもきれいだった。涙が止まらなくて、すごく大きな愛に包まれている、そう思った。嵐の歌声が胸に沁みた。

 

一人じゃないと気付いたんだ
輝くあの扉 ともに目指そう

 

今回、震災があったから来てくれたけれど、嵐が「帰ってきたぞ」「ただいま」と言ってくれたことが嬉しかった。震災のとき、停電で真っ暗なときに見上げた空みたいで、あのときみんなで手を取り合って、がんばろうね、乗り越えていこうね、って言っていたことも思い出した。そうだね、ひとりじゃないね。この空見て、みんなの気持ちがひとつになったような気がした。

 声が枯れるくらい叫んでくれる潤くんを見て追い討ちをかけられるようにまた泣いて、公演が終わってもずっと嵐コールをした。どうやら次の仕事があってみんなドタバタだったらしい、というのは後から知ったのだけど。帰りのシャトルバスを待ちながら、流れてくるユメニカケルを聴いて楽しかったね、また来てほしいね、なんて話しながらもちょっと放心状態で、まだ夢を見ている気持ちだった。

 

あれから3年が経った。

あの場所はこれまでとほとんど変化はないが、嵐が宮城にもたらした経済効果がものすごくてびっくりした。足を運んでもらうって大事なことなんだな、と実感した。

宮城中が嵐フィーバーになったあの時のことは、ずっとずっと忘れない。3年なんてあっという間に過ぎていったように感じるけど、決してなにもなく過ぎていった日々ではなかった。私たちは前に進んでいる。元に戻るため、よりよいものを手に入れるため。震災は時間が解決してくれる問題ではない。風化していってしまうけど、忘れてはいけない。大事なことだから。前に進むための勇気、受け入れる勇気、立ち向かう勇気。いろんな勇気を嵐からもらった。今もずっと前を向いて、このもらった勇気と共に、これからも頑張っていく。ひとりじゃないから。

 


来てくれてありがとう、この場でコンサートをしてくれてありがとう。

地元で嵐に会うって夢、叶えてくれてありがとう。


愛に満ち溢れた四日間。本当にありがとう。

 

 

 

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また待ってるよ。

 

*1:だって言いにくいし宮城スタジアムのほうがいい

*2:ここの盛り上がり、DVDに入ってると思ったのに全然入ってなくて超悔しかった